こんにちは!かいりです!
今回は私が2020年3月半ばに行った南米旅行についてお話します。
自分でもなかなか稀な経験したなと思うのですが、なんとコロナの影響でペルーに閉じ込められ、転職先の内定取り消しをくらいました。
そのときの国境封鎖が発覚した後の話をします。
なお、国境封鎖前の旅行の話は以下のリンクからどうぞ!
南米旅行中にペルーで国境封鎖された話 1/2
帰国編はこちら!
南米旅行中にペルーで国境封鎖された話 3/3
Contents
1. 旅の概要
元々の旅の予定は以下でした。
日程:2020年 3/13(金)~3/27(金)
順番:ペルー⇒ボリビア⇒チリ
3/13 東京⇒ニューヨーク⇒飛行機泊
3/14 ⇒リマ⇒ナスカ⇒ホテル泊
3/15 ⇒バス泊
3/16 ⇒クスコ⇒マチュピチュ村⇒ホテル泊
3/17 ⇒マチュピチュ⇒マチュピチュ村⇒クスコ⇒ホテル泊
3/18 ⇒レインボーマウンテン⇒クスコ⇒バス泊
3/19 ⇒プーノ⇒チチカカ湖⇒ラパス⇒ホテル泊
3/20 ⇒ウユニ⇒ホテル泊
3/21 ⇒ウユニ塩湖⇒ホテル泊
3/22 ⇒ウユニ⇒車中泊
3/23 ⇒アタカマ高地⇒サンペドロアタカマ⇒アタカマ砂漠⇒サンペドロアタカマ⇒ホテル泊
3/24 ⇒サンティアゴ⇒ホテル泊
3/25 ⇒飛行機泊
3/26 ⇒ニューヨーク⇒飛行機泊
3/27 ⇒東京
しかし、実際は以下のようになりました。
3/13 東京⇒ニューヨーク⇒飛行機泊
3/14 ⇒リマ⇒ナスカ⇒ホテル泊
3/15 ⇒バス泊
3/16 ⇒クスコ⇒国境封鎖発覚
3/17 ホテルにてのんびり暮らす
3/28 ⇒ワイキキ
3/29 ⇒飛行機泊
3/30 ⇒日本
いやー、ナスカまでは順調だったんですけどね。。。
本記事では、国境封鎖が発覚したところから帰国するまでを記載してます。
2. ペルー国境封鎖の発覚
前の記事では、ナスカで楽しんだところまで記載しました。私はそこからマチュピチュを見るためにクスコへ向かいました。
ナスカからクスコに行く手段は、リマまでバスで行ってから飛行機を使用するか、バスで直接行くかの2択です。
待ち時間含めたら、あまり時間が変わらないこと、バスのほうが安いことを考慮し、私はバスでクスコに向かう選択をしました。
ナスカを出発したのが17時で、14時間かかる見込みだったため、到着予定は7時頃でした。
バス自体は快適でした。しかし、道が山道かつぼこぼこだったため、めっちゃ酔いました。
クスコは標高3400m。簡単に言えば富士山山頂にいるようなものです。
そこまで車で行くとなるとすごい山道を登っていかなければなりません。
このブログを見た人には、ナスカからクスコに行く場合は、バスを利用することはオススメしません。
何なら、ナスカの地上絵もそんなに感動する場所でもないので、ナスカに行く必要すらありません。
リマからクスコに飛行機で行くのが一番ですね。
高山病に加え、山道かつボコボコ道のせいで、夜も寝れず、終始酔いながらもなんとか吐かずにクスコに到着しました。
夜なぜか2時間位停車していたことや渋滞していたこともあり、クスコに着いた頃には12時頃でした。
クスコに着いたあと、いざマチュピチュ!と思い、マチュピチュ行の列車の乗車券をネットで買おうとしました。しかし、全て売り切れ。昨日見た時点では、売っていたのになぜ・・・?
一抹の不安を覚えながらも、ペルーレイルのオフィスに行ってみました。
ところが、オフィスが閉まっている。なぜ・・・?と思いつつも、扉をノックすると、人が出てきました。
私は拙い英語で、マチュピチュ行の列車のチケットがないかをききましたが、そこで帰ってきた答えは信じられないものでした。
「コロナの影響で、マチュピチュは封鎖した。だから列車も走らない」
その言葉をきき、せっかくペルーに来たのにマチュピチュ行けないのか。と絶望しました。
しかし、それはまだ絶望の序章でした。
マチュピチュ封鎖の詳細を調べたところ、以下のことがわかりました。
・3/15の20時に大統領によって国家緊急事態令が発令されたこと
・それにより3/16以降、陸海空全ての国境を封鎖すること
・国境封鎖は最低2週間続く
・生活必需品の購入以外の外出は禁止
これを見た瞬間の絶望と言ったら。。。
しかし、絶望してばかりではいられません。
3/16中であれば、まだペルーから出られるのです。
そう思い、私はタクシーを使って空港まで急行しました。
空港に行った私は再度絶望しました。
空港にはバリケードが張られており、警察がいるのです。
その警察が言うには、通るためには予約した航空券が必要とのことでした。
私はすぐに航空券を予約しようと、色々なサイトを見て、どうにか航空券を手に入れようとしました。
しかし、どのサイトも売り切れ売り切れ売り切れ。。。
私はなすすべなくその場に立ち尽くしました。。。。
これは空港の様子です。
他の方も呆然と立ち尽くしている人が多かったですね。
外務省のページに記載されていたのがこの文言。
3. クスコ市内の混乱
空港でしばらく立ち尽くしたあと、私は予約していた宿にチェックインしベッドにダイブしました。ベッドに寝転がり、空虚な表情で天井を見つめながら、ひとしきり後悔しました。
明日から国境封鎖。最低2週間は日本帰れない。
思えばナスカからクスコにバスで向かったのが失敗だった。バスの中では酔いすぎて携帯を触ることができず、情報収集もできなかった。リマを経由して飛行機でクスコに向かおうとしていれば、飛行機に乗るときに国境封鎖することに気付いただろう。
確かに緊急事態宣言発令の予兆はあった。
ナスカのバスに乗る前、バスのキャッチが言ってた。「明日を最後にペルーは国境封鎖する。気を付けてね」元々情報として、日本からペルーへの直通便が無くなったという情報を知っていたからその話のことかと勘違いしてしまった。
そのときはペルーの国境封鎖について調べても何も情報は出てこなかったというのもそう勘違いしてしまった理由の1つだ。
けど確かに地元の人だからこそ、噂程度に回ってくることもあるだろう。なぜその可能性を考え、もっとそのキャッチの人に詳しく聞かなかったのだろうか。そうしていれば、今頃ペルーを脱出できただろうに。。。
上記のように、ひとしきり後悔したあと、気付いたらお腹が減ってきました。
いつまでもクヨクヨしても仕方ない。ご飯を食べに行こうと思い、近くのチキン屋でチキンを食べました。どんなときでもチキンはおいしい。
チキンを食べて元気が出た私は、まずはインスタを開き皆からのメッセージに返信しました。実は空港で絶望していたとき、インスタにその様子をあげました。それを見た友人達がたくさん励ましのメッセージをくれたわけです。
皆からのメッセージを見て、更に元気が出た私はペルーを脱出するための情報を収集すべく、twitterで同じ状況の日本人を探しました。
「ペルー 国境封鎖」でtwitterの投稿を検索したところ、同じ状況の日本人を10人程度見つけました。片っ端からその日本人をフォローし、DMを飛ばし、情報交換をしようと試みました。
そうこうしているうちに眠気が襲ってきたので、この日は床に就きました。おやすみなさい。
ペルーではこうしてチキンを焼いています。
出来上がりはこんなかんじ!思ったよりもおいしかったです!
スーパーで買い物しようと思いましたが、店の外まで並ぶくらいの激混み。。。
緊急事態宣言が出たことで、明日から飲食店が全て閉鎖することになったのが理由。日本よりかはひどくなかったですが、同じような状況でしたね。
4. 同じ状況にいる日本人との情報交換
翌日も引き続き、日本人との情報交換。そこで情報交換をしていると、日本人が多くいる宿がわかりました。
そこは、宿のスタッフはペルー人ですが、オーナーが日本人であるため、日本人宿と呼ばれている宿でした。
1部屋に3人程入るドミトリーで、キッチンは屋上にあり、共同で使用。街のお店がやっていない以上、自炊するしかなかったので、キッチンは必要でした。
キッチンがあり、日本人もいる。しかも1泊800円程度。
これ以上条件が良いとこは他にないため、そちらの宿に移ることを決意しました。
もう1日同じ宿に泊まって、次の日その日本人宿に向かいました。
同じ状況の日本人との情報交換。
しかも同じく4/1入社式の民。。。辛みが深い。
彼も同じ状況の日本人。彼がだいぶ動いてくれて情報共有ラインができた。感謝。
こんなかんじで2つの情報共有ラインができました。1つは年齢性別関係なく、同じ状況の日本人を集めたライン。
もう1つは4/1に入社式がある切羽詰まった人達の集まり。
仕事辞めてバックパッカーやってる人や、まだ学生の人などもいたので、意外と切羽詰まっている人は我々くらいでしたね。。。笑
5. 日本人宿での、のんびりとした暮らし
日本人宿であるカサデルインカでは、閉鎖的な空間ながらかなり悠々自適に楽しく暮らせた。
朝6時に起きて朝昼晩自炊して夜23時頃に寝る規則正しい生活。
大抵の時間を屋上のテラスで過ごした。テラスは人が自然に集まる場所で、そこで一緒にご飯食べたり、トランプしたり、ボドゲしたり、チェスしたり、話したりした。
年齢もバラバラ、国籍もバラバラだし、(日本人多めだったけど)京大東大とかの高学歴もいれば、ずっと海外で暮らしてる人とかカジノで1000万稼いだ人とか、色々いて、皆個性的で面白かった。
旅人みたいな人が多かったからかわからないけど、大らかな人が多くて、気を使わなくて過ごせたから居心地良かったな。
ほんと良い宿だった。
カサデルインカのURLはこちら。
屋上のテラスはこんなかんじ
テーブルが何個か、椅子が15個くらい、キッチンも奥にある
ここらへんで音楽の先生やってるらしい。ギターも歌もうまかった!
昼からも皆テラスで話したり、ゲームしてたりしてた。
毎日逆立ちしてたやつ。
明るいイケメン京大大学院生。
ここの宿のテラスからは本当に景色が良い。有名なアルマス広場が見れる。天気良いなー!
夜のアルマス広場はこんなかんじ。夜景も綺麗なんだよね。
ちなみに宿の外観はこんなかんじ。坂の上にあるからこの宿に来るのは実はけっこう大変。その分景色良いけどね!
ちなみに1泊800円くらい!
6. 現地でのご飯
国境封鎖中に宿で食べたご飯をご紹介します!今まで自炊とかほとんどしたことなかったけど、この生活で自炊する習慣が身に付いてしまった。ありがたい!
宿についた日に、先に宿にいた日本人が振舞ってくれたカレー。久しぶりの日本の味で、感動したのを覚えてる。カレールウ最強すぎる。。。
宿のスタッフが作ってくれたペルー料理!名前は知らない!鶏肉と野菜の煮込み丼的なものかな?
おいしかった!
宿のスタッフが作ってくれたペルー料理!名前は知らない!ペルー版のカレー的なものかな?おいしかった!
豚の生姜焼き!しょうがとにんにくと醤油を混ぜたソースに豚肉をつければ、どんな豚肉でも柔らかく、臭みがなくなる!簡単!万能!最高!
カルボナーラ!
バター、コンソメ、牛乳、ベーコン、たまねぎでおいしくできました!パスタとラーメンがこの封鎖期間のメインの料理だったな。(簡単すぎる)
ミートソースパスタ!
麺をゆでて、ミートソースの缶をぶっかければ終わり!ペルーの缶もおいしい!
写真はないけど、ポトフもよく作りました。コンソメでスープ作ってそこに野菜を入れればできあがり。だいたい白菜入れてたな。ペルーの白菜はとても大きい。これで11ソル。約300円!
ペルーはマンゴーがめっちゃうまい!しかも安い!ペルーに行ったらぜひスーパーでマンゴー買ってください!あ、あとアボカドも安くておいしいです!私は苦手なので買いませんでしたが。。。
ペルーのビール、クスコエールです!
苦みが少なくて飲みやすかった!
7. クスコでお散歩
国境封鎖中は基本は外出禁止でしたが、スーパーに買い物に行くなど最低限の外出は許されていました。買い物という体で宿の周りは散歩しましたので、ここでは散歩して行った風景を紹介します。
街中には犬が意外といる。
飼い犬なのか、野良犬なのか。。。感染病が怖いから近寄りはしなかったけど、かわいいね!
犬がめっちゃ近寄ってきたからめっちゃ逃げました笑
犬だけじゃなくて猫もいます。
個人的には猫派。猫がやっぱりかわいい!
かの有名なアルマス広場。
綺麗だった。いつもはたくさん人いるはずなのにな。。。
道端には見回りする警察がたくさん。
怪しいとすぐ職務質問くらいます。私も何回もくらいました。
ペドロ市場の近く!
この辺は市場に買い物しているという言い訳ができるから人がたくさんいたー!
これがサンペドロ市場。
これは、閉まっている時間のサンペドロ市場。
銃を持った警察(?)が見張ってました。こわい。。。
道端でも銃持った警察(?)がいた。こわいんじゃ。。。
市場内はこんなかんじ。
狭い中にたくさん店が並んでいる。
果物や野菜がたくさんありました。
なんかよくわからない香辛料とか調味料もたくさん。
鶏肉を売っている店はだいたいこんなかんじで売ってます。ちょっとグロイ。。。
よく使ってたスーパー。
ORIONというとこ。ペルーには何個かあるチェーン店。
8. とうとう帰国!
こんなにのんびりした生活にも終わりが来ました。
ここに記載すると話が長くなってしまいそうなので、帰国編は以下のページに記載します!良かったら見てください!
南米旅行中にペルーで国境封鎖された話 3/3
ではでは!